Honey






   開放感に満ちた放課後、人通りもまばらな廊下で千鶴は沖田に襲われていた。
襲うと言っても、武器はない。後ろから羽交い締めにされている。
「相変わらず、抱き心地良いよねぇ」
「は、離して下さいっ」
「先輩からの有り難いスキンシップじゃない、嫌なの?」
 お気に入りの玩具で遊ぶ子供のような無邪気さで、沖田は赤くなったり青くなったりする千鶴で遊んでいる。非力な千鶴が暴れた所で、仔猫にじゃれつかれているようなものでしかない。
「タダじゃあ放さないよ、つまんないしさ。あ、キスしよっか、それなら放してあげる」
「おぉお沖田先輩!?」
 悲鳴を封じるように頬を擦り寄せられ、唇同士の距離がゼロに近づく。
(ん?――)
沖田はピタリと動きを止める。
「おい総司!!学内でいかがわしいことしてんじゃねえっ」
 殺気を感じて怒号の発生箇所を振り返れば仁王立ちの土方がいた。加えてあからさまに睨みつけてきている原田までいる。
小さく沖田は舌打ちし、ニコリと微笑んだ。
「やだなぁ、土方先生、後輩との大切な親睦を『いかがわしい』だなんて。大人は汚れてマスネ」
「なんだと手前!もう一遍言ってみろ!!」
 血圧計の最高値を振り切る勢いで土方は二人を引き剥がす。押され、よろける千鶴を原田は後ろに隠した。
「あ〜、土方さんよ、総司は頼んだわ」
 聞こえているのかいないのか二人は白熱する一方だ。原田は溜息をつくや、ビクビクしている千鶴を保護したのだった。


 一瞬、沖田は土方を盛大に無視して原田の背中へ鋭い視線を投げつける。
顔を近づけた時に、ふわりと嗅がされた千鶴からはしないはずのそれ。
(まさか、ね――)

小さくなる影に、沖田は冷たく唇を歪めた。




 千鶴はあれよあれよという間に体育準備室へと連れこまれていた。勿論、原田が誘ったからではある。
原田は邪魔者がいないのを確認すると鍵を下ろした。
カチャリ、と金属音が静かな準備室に響く。

「ちゃんと、効果あったみてぇだな」
 ふふん、と原田は得意そうに口角を上げた。
「そ、そうでしょうか」
 千鶴はついさっき起こったことを思い出して耳まで赤くなる。

 沖田に捕まる前に、放課後すぐ千鶴はこの体育準備室に呼ばれて来ていたのだ。それは最近、どうにも生徒会長の風間や、あの沖田からもベタベタされすぎているということについての対策だった。
密かに原田と千鶴は付き合っている。関係は公に出来ないが、このままでは千鶴の貞操が危ない。
どうあっても千鶴の貞操は守らなければならない、と原田は貞操を奪った帳本人だったが微妙な顔をする千鶴とは対照的に、真顔で持論を展開させていた。
 原田は胸の煙草へと手を伸ばし、吸い始めた。千鶴は内心、驚く。原田は長く喫煙者だったというが自分の前で吸われたことは一度もない。
余程、苛々しているんだろうかと吸い終わるのを待っていると、煙草を灰皿に潰すや原田は千鶴に手招きをした。
「千鶴、膝に乗れ」
「へ?あ、あの……」
「いいから乗れよ」
 ドキドキしながら、それでも大好きな年上の恋人に乞われれば否やはない。おとなしく乗るとキスをされた。
深く、唇も脳も痺れるようなそれは繰り返される。
「左之助さ…苦い、です」
 煙草の味が舌に伝わり、鼻の奥まで臭いが一杯になる。
「虫除けだから甘くはないだろうな」
 なんの?とききたいのに原田は質問を許さず、苦いキスを甘くなるまで送った。


「煙草、吸ってないのに味を覚えてしまいました」
 ぽつりと呟かれた千鶴のちいさな抗議に原田は眦を緩める。
「そうだな、俺に禁煙させたいなら口寂しくなる度に千鶴からキスしてもらえば良いって訳か」
「あの…どこをどうしたら、そうなるんでしょうか」
「千鶴から、キスしてくれよ、良いだろ」
 期待をふくんだ甘いそれに千鶴はやはり逆らえない。
千鶴は同じように、とても苦くなった唇を静かに重ねた。






【了】