月の遣い

 


 遙けし都、京に雪が降り積もる。京を震撼させた鬼の一族との戦いも終わりを告げ、時は既に如月だ。
京を救った龍神の神子たる少女は「元気でね」と明るい笑顔を残して在るべき世界へと還った。
京の人々は新年を迎えて賑わっている。忌まわしい記憶を忘れるかの様に、災いを圧し流すかの様に――。


「こちらに、いらしたのですね。探しましたよ、新年の御挨拶も済ませて居りませんでしたし」
「ああ、お前か」
 永泉に呼びとめられて秀麗な陰陽師は薄く唇に笑みを履いた。泰明は、安倍家を誇る実力の持ち主だ、しかし滅多に表情を変える事などない。
「何をなさっていたのですか?」
 泰明の笑みにつられたのか、永泉も微笑んだ。「雪兎を作っていた」
「雪兎…ですか?」
 こんなに寒い神泉苑で雪兎をこしらえるなど、どうかしている。呪(まじない)の一種かもしれない、それなら合点はいく。
「呪、ですか?」
「今宵は満月だからだ」 一向に要領を得ない答えにも滅気ず、永泉は問いを重ねる。
「満月だから?」
「…‥神子が還ったのは月なのだ」
「――は?」
 重く垂れこめた雲から雪が舞う、まるで花びらのようだ。
「そう、私に言った。だから自分は還るけれど、何時でも逢えると」
彼の少女を想い出しているのか口振りは優しい。永泉は、こんもりと集められた雪を見た。
「私は月には行けぬ、だが兎は月の遣いだそうだ、想いだけでも持って行ってくれるやもしれぬと…、そう思ったのだ」
 言い終えると泰明は、すっと表情を失くした。 たわいもないお伽話だ、常の冷徹な彼の言葉ではない。聞くものが聞けば一笑に付すそれ。
しかし、永泉は嘲笑わなかった。
「今夜は晴れます」
「うむ」
 泰明は大きく頷いた。永泉は慣れない手つきで雪を集めだす。
「大きい雪兎の方が神子もきっと喜びます」
「…風邪を引くぞ」
「二人で作れば早いです、それにお一人では風邪を召します」
「しかし」
「神子なら怒りますよ」「そうか…」
 泰明は、やんわりとした永泉の気遣いを素直に受け取る事にした。
「上手く出来るでしょうか」
「問題ない」
 自信満々の陰陽師のそれに永泉は笑った。


 その日、一際美しい満月が京を照らした。神泉苑で跳ねる兎が居たとか居ないとかは月だけが、知っている。


《了》