嵐が来ても




「返して下さい」

「厭です」

「どうか聞き分けて頂きたいのですが…」
穏やかな口調に花梨は尚更意地になってゆく。
「これが有るから幸鷹さんは折っっ角のお休みを棒に振ってまでいるんだもん!!返しませんっ」
 涙眼になってしまった花梨に答えあぐねて幸鷹は、それ以上言葉を続けられなくなった。



 中名言と検非違使別当を兼任している幸鷹の屋敷は平安の京にあって、業奢極まりない部類に入る。特に華美なるを好む嗜好が有る訳ではないが、全盛を誇る藤原氏の系譜となると別だ。一つ一つの室が広い。
そしてその、最も広い幸鷹の私室で花梨は仁王立ちになって激怒していた。最近、幼い妻を迎えた屋敷の主たる幸鷹だが、甘やかな婚姻生活には縁遠い。職責が余りに重たい事やら、なまじ当人が熱心故に職務に奔走するばかりで不在がちなのが起因している。
 しかし大恋愛で文字通り全てを投げ打ってまで結婚した花梨には、いい加減我慢の限界だ。


「えぇ、幸鷹さんが忙しいのなんて知ってます!私の我儘だけど否なものは厭なんですっ」
 こんなに大好きなのに結婚だってしたのに、ちっとも一緒に居られない。今日だって珍しくお部屋に居るのに
『読みたい本が溜まっていて…』
とか言い出したから、私は猛烈に腹が立ってしまって幸鷹さんの眼鏡を取り上げた。
度の進んだ近眼だから眼鏡がなければ本を読むのも大変みたい、取り上げて私は結構清々した。
 たまにはかまって欲しい。一生懸命睨むと眼鏡を取り返せないのは判ったみたいで動かしていた手を下げた。
「花梨」
「な、何ですか」
「それでは…、貴女が教えて下さいませんか?休日の過ごし方を」
「え?」
「どうもその…、私には楽しい休日の過ごし方というと読書をしたり勉学をしたりというのが大変に楽しいのです。でも、それは一人の楽しみ方、どの様にしたら貴女も楽しいのでしょうか。囲碁でもしますか?私はその…、貴女と共に過ごせるだけで嬉しいのですが」
 すごい殺し文句を言われた気がする。そんな風に困った顔で言われたらずっと怒っているのも悪い気がしてきた。
「え~と、…じゃあ、前からしたかった事をしても良いですか?」
「ええ、何なりと」
「あのね、一緒にお出かけしたいです」
「あぁ、そうだったのですね。外出も良い、どこへ行きましょうか」
「う~ん、…あっ!市を見たいです。それからね、お散歩したいな」
「ではそうしましょう」
「後ね、後…」
「どうしましたか?その様に可愛らしい顔をして」
 私はつん、と幸鷹さんの袖を引っ張っておねだりした。
「手をね、繋いで歩いてほしいの」
「手を、ですか?」
「はい…。ダメですか?」
 流石に無理かなぁ。幸鷹さん、人前でとか嫌かな…。
沈黙が痛いよ。
「あの、やっぱり良いですっ。ごめんなさい」
 耐え切れなくなって私は頭を下げた。
「…厭ではないのです。ただ、その…‥気恥ずかしくて」
 よく見ると幸鷹さんは首まで赤い。眼鏡もないのに直してるし。
「…貴女だけですよ、こんなに私を困らせてしまうのは」
「あの、ごめんなさい」
「貴女は何時も私を上手に困らせる、それなのに嬉しいと想ってしまうから重症なのでしょうか」
「えと、それってOKって事ですか?」
「勿論ですよ、牛車を降りたら帰路までずっと」
「…――」
 好きになる瞬間って、こうやって増えていくのかな。どうしよう、物凄く嬉しい。
「うわっ!か、花梨!?」
 思い切り抱きついた。
「えへへ、幸鷹さん大好き!すっごく好き、ありがとうー」
 お天気も良かったから一緒にお出かけしたかった、手も繋いでくれるし本当に嬉しい。
「きっと楽しいです、だって二人だもん」
 返事はなかったけど、抱き締めてくれる手が両手になった。
「一つ付け加えるなら、私達は死ぬまで一緒ですよ。だから二人で毎日過ごしていきましょう」
「はい、宜しくね、幸鷹さん」
「こちらこそ」
 生真面目な声がくすぐったくて、私は目を閉じた。





 それから私達は晴れた日には手を繋いで出掛けてます。
歩く速さが違っても、見える風景が違っても二人で歩けるなら嵐が来ても大丈夫…、かな?





≪了≫