東へ西へ

 

 

 

 このところ、よく見かける光景がある。原田はペタペタと長い渡り廊下を歩きながら見るものが見れば本来、微笑ましくさえあるそれに遭遇し、我知らずに凛々しい眉に険を作った。
原田の大きな手には土産が握られている。屯所という名の檻の中で直向きに咲く一輪の花のような千鶴へ、今日も今日とて甲斐甲斐しくも、少女が好きそうなものを買ってきていた。少しでも気持ちが慰められれば良いと、小さな後ろ姿をようやく見つけ声をかけようと口を開けたが、言葉は寸での所で塞き止められる。千鶴がやたらめったらに楽しそうなのである。普段、どちらかと言えば年の割に冷静で思慮深い少女が、相好を崩すことは数える程しかない。
それは無論、気にかけている千鶴が楽しくしているほうが嬉しい。だが問題は、特定の野郎限定で笑顔は向けられているということだ。
 千鶴は黒衣の寡黙な男と談笑していた。時折、くすぐったそうに眼を細めては、耳打ちをされたりしている。会話の内容はちっとも聞こえないが、いつもは顔色ひとつ変えない斎藤が、かなりデレている。
ああ、あいつツンデレだったのかと分かったものの、可愛い千鶴から離れやがれ!と胸ぐらを掴みたくなった。確かにおまえは腕は立つし、やり手と奥手があいまったギャップ萌という、乙女心を揺さぶる兵器を持っている男だ。だがしかし、千鶴には使用するなと真顔で原田は思った。
このまま舞鶴浜まで手と手を取り合い、白い波打ち際で追い駆けっことか水遊びに興じそうな熱々振りじゃないか。斎藤へ、かける冷や水も考え付かずギリギリと原田は歯ぎしりをした。
手にしている飴は流れる汗で湿り、表面のキャラの顔が溶けた。原型を留めないバッタモンのような飴は結局、渡せずに終わった。



 老兵はただ去るのみ。という言葉もあるが、そんな隠居する年じゃねぇしと原田は千鶴と朝餉の当番になった翌朝、ズバリ核心を突いた。
「最近、斎藤とよくいるなぁ」
 何気なさを装ったそれに千鶴は、ふにゃりと笑った。
「そうでしょうか」
 蕩けそうな瞳は陶酔の色を淡く帯びている。頬を、ほんのり染めた千鶴は幼さが抜けきらないのに、色気じみたものを発散する。原田はうっかり動揺し、当番に遅れてやってきた新八を手加減せずに、つねった。
新八は、ぎゃーイテテテ!!アイテテテ!!痛ぇよぅ!という、色気や情緒の欠片すらない野太いダミ声で、屠殺される肉食獣の断末魔よろしく吼えた。さすがに原田は我に返った。

 これはひょっとして、ひょっとしなくても――。
 千鶴は斎藤を……?

 今度は原田が「まーじー?」と叫びを上げ、サラサラと音を立てて灰になっていった。



 斬った張ったを含む就業内容も乗り越えられた精神力でも、労災認定の降りようのない鬱に襲われ、原田は溜め息を繰り返していた。
いっそアウトドアで気分転換でもしようと部屋を出ると、斎藤が明らかに千鶴の部屋へ向かっているのが見える。すわ、何事!?と、障子戸が閉まりきるのを確認してから気配を殺してにじり寄れば、小さな声が洩れてくる。
「千鶴…」
「……あぁっ」
「そんなに急くな」
「でも、我慢できな…――」
 二人の影が折り重なる。
「そんなに、待っていたのか?」
「はい、ずっともう…」
「分かった。ではそう……力を入れず」
「優しく、さするように。ですね?」
「うむ、ああ――上手いな、千鶴は…」
「もう触るだけなんて厭です、こんなに待っていたのに」
「しかしここで頻繁には」
「すみません、だからせめて今だけ…」
「――千鶴」
「私…私っっ!!」
 たまらず原田はスパーンと障子戸を開けた。
「何ヤってんだ!!!」
 そこには感極まって猫を抱き締めている千鶴と、猫ジャラシを持って対面に座り合っている二人が居た。
「…左之、覗き見とは趣味が悪いな」
 変質者を相手にするような、絶対零度の凍てついた眼差しを斎藤は原田へ寄越した。すごく尖っている。まるでナイフのようだ。
しかし原田は、チッ!こいつやっぱし気が付いていやがったなと舌打ちした。が、恐々見上げる千鶴に気付き取って付けたように、ホワイトニングの済んでいない歯を剥き出しにして笑顔を作った。
「あ、原田さん…この仔、飼っているわけじゃないんです。屯所の近くに住んでいて、なついてくれてて。前の巡察から、お友達なんです」
 斎藤は猫好きの自分のために、この仔猫を見つけてきては連れてきてくれて、コッソリ遊んでいたのだと千鶴は頭を下げた。
「勝手なことをして、本当にすみません」
「いや、俺も猫は大好きだしな。土方さんには黙っておくから安心しろ。このチビ、見つけたら連れてきてやるから二人で遊ぼうな」
「原田さん…」
 ほっとしたのか、花のような笑顔を浮かべる千鶴に、原田は男前が台無しになるかならないかの瀬戸際でデレデレ眉尻を下げた。
「あんたが猫好きだと、俺は初めて聞いたが?」
 すっこめ!とばかりに斎藤は原田と千鶴の間に割り込み渾身の力で睨みつけるも、
額に青筋を立てた笑顔で原田は返す。





 斯くしてここに、原田と斎藤の終わらない猫合戦の火蓋は切って落とされ――。
幹部達を巻き込む大騒動になったのは言うまでもない。

 

 







【了】

 

 

2011.01.04