トランペットの音が鳴るまでに




妖精の棲まう魔法音楽学園こと星奏学院の、とある練習室で肝試し大会をするべく在校生二 人に教師一人と、三人の男達がひた向かっていた。


「ねえねえ、行ってみようよ!」
「火原先輩…学内コンクール中なのに、余裕ですね。俺は練習がしたいんですが」
「そうだぞ~、火原、多忙を極める教師を怪談ヨモヤマ話くらいで付き合わせる気か?」
「でもさ、気にならない?あの練習室のピアノは演奏者の気持ちを勝手に自動演奏させちゃうっていうんだよ!?」
 好奇心が溢れんばかりのキラキラとした火原の瞳に、月森はこれ以上の説得は無理だと試合放棄する。抗弁する時間を省けば、せめてその時間は練習に充てられるだろうと整った眉根を寄せた。
こちらの都合など完璧に無視してくれた話ではあるが、先輩という存在に対して強くは突っぱねられない自分に軽く自己嫌悪を覚えつつ、溜息を了承の言葉に変えた。

 金澤は月森がいるなら、もう俺いらないじゃん、俺は忙しいんだからさと月森を見れば、明らかに自分を睨んでいる。
…火原を諫める所か生徒をダシに逃げるのかと、それはジェスチャー無しでも伝わる表現力だった。その目力にアッサリ屈した金澤は、何、俺だって乗りかかった船には乗るナイスガイさ、と更に月森を不機嫌にさせる、胡散臭い笑顔で返した。

「もう着いたよ~。あれ、月森君、金やん、どうしたの?」
 ぶすぶすと焦げ臭い二人の空気を、爽やかなオーラで丸く蓋をした大物火原は満面で火に油を注いだ。
「じゃあ、月森君からピアノ演奏をしてみてよ!俺、ピアノって苦手でさ。やっぱり上手な人からが良いじゃん?」

 ――おお、ジーザス!!

 金澤は大仰に手で顔を覆った。進路なんかよりも切実に卒業式を迎えるよりも前、この天真爛漫な三年生が目の前の二年生にボコボコにされる日の方が早くが来るんじゃないかと心配になってしまった。死んで花見が咲くものか、月森よ、ここは一つも二つも大人になってくれと、そっと手を合わせた。
 しかし月森は手を合わせる金澤を視界に入れることもせず、視野が狭いのは悪い癖だと日野に先日、指摘されたばかりじゃないかと彼女の笑顔やら泣き顔やらも思い出し、女子からして一般的に言うところのキモさ全開で、一瞬だけだがニヤニヤしていた。

 そうだ落ち着くんだ俺、何か理不尽なことに関わってはいるがこれも経験。月森は、いつもの仏頂面に戻ると苛立ちで浅く成りやすい息を深くして、件(くだん)のアップライトピアノの前に立つ。



「うわあぁっ」
「凄いや!これが噂の自動演奏!?」
「ていうか月森、滅茶苦茶怒ってないか!!?」


 ピアノの前へ、ただ立っただけで指は意思に関係なく操られ鍵盤を乱暴にすべる。

 ――それでもギリギリ何かの曲には聞こえた。
「…では、お次は金澤先生どうぞ」
「お、…おお!分かった、分かったからさ、月森、そんなにメンチ切るなって~」
「か、金やん、ガンバ!!」



 静かに怒り狂う後輩を和ませる、これといった面白いジョークも浮かばなかった火原は拳(こぶし)作って教師に最大限のエールを贈る。金澤は分かっているのかいないのか、判断に苦しむ、これまたよく青年誌に出てきそうな劇画タッチなシリアス顔で頷いた。



「よし、行くぞ~」
 大きな手から奏でられるそれは運動会の行進曲でよく使われる、ラデツキー行進曲のマーチだった。
しかもやたら軽快だ。ちょっと意外だが上手いじゃないか。
音楽教師というのも伊達じゃなかったのだなと普段の、生徒達よりも遥かに猫に慕われている三十路の金澤を想い描きながら優秀な生徒二人は、それなりに失礼な感想ではあったが、この腕前にいたく感心したのだった。
「凄いぜ!火原、月森、こいつは本物だ!!だって俺がパチ屋のスロットに行きたいのを知ってんだからなっ」
 金澤は若さ一杯の高校生達に親指を付き出し、これでもかと、あり得ない位の笑顔で興奮していた。
「先生…?忙しいと言っていたのはスロットへ行きたかったからなのですか?」
「金やんサイテーだよっ!!」
「怒るなよ~。ほら、火原の番だろ、弾けよ、アハハハハ!」
ちっとも堪えない金澤に純真さを未だ残している生徒二人は、さっきの感動を返せと歯噛みした。



 微妙な空気のままだが、自分が言い出したことだしと、火原が疲れを引き摺りながらピアノの前に立つと突然、練習室のドアが勢いよく開かれた。
「あれ…おまえさん、どうした」
「日野、君が何故こんな所に」
「香穂ちゃんも弾きに来たの?」
 一気に狭い練習室がピンク色の空気に染まり、このイライラはトキメキに転嫁される。
 香穂子は決然とした横顔を男達に見せつつも誰とも眼を合わせない。そして何も言わずに練習室へ、ずんずんと入るや否や拙い指使いで、エルガーの『愛の挨拶』を数小節だけ弾いた。
この行動力に彼女の魂はパンクを越えたと三人は唸り、感嘆した。

「香穂ちゃん、これって…愛の挨拶、だよね?」
「……――」
 香穂子は火原の問いに応える処か、これから校舎の窓ガラスを全て割るんじゃなかろうかと男達をドキドキさせるには充分過ぎる荒々しさで練習室を飛び出した。
「凄い勢いだ…でも、香穂ちゃんは追いかける!」
「俺も行きます!!」
「なんだ何だ~?って…俺も負けてられないなっ」
 一斉に男達は走り出した、大好きな彼女を探しに。





≪了≫