星に願いを

 

 

「ねぇ、梓馬は何をお願いするの?」
 香穂子はバルコニーにこじんまりと飾られた笹に折り紙で器用に飾り付けをしてゆく。楽しくて仕方がないのか軽やかな旋律を口ずさんでいる。
「何って、何だよ」
「七夕だもの、お願いごとをすると叶うっていうじゃない」
「願いごと、ねぇ…」
 柚木は興味がまるでないのか、生返事を繰り返す。元々、気乗りしていない柚木を香穂子が説き伏せて自宅まで連れて来た経緯もあってずっとこの調子だ。
柚木がイベントごとに淡泊であるのを知悉していた香穂子だが、この日のためにと用意した短冊は風にさらわれないようにマジックペンを文鎮にしている。
「さっきから俺にばかり訊くなぁ、だったらお前の願いは何だ?」
 それには興味があるのか尚も飾り付けをしている香穂子の指を捉えて自分の方に向かせた。
「え…、私の願い知りたいの?でもきっと、物凄く分かり易いから聞いてもつまらないよ」
「ふぅん、ロマンチックな女だったらここは『大好きな彼と一緒に居られますように』とか書くのかな」
 意地悪い口調だ。
「ハズレ」
 それくらいしか思いつかなかった柚木はいささか拍子抜けした。香穂子はどう見ても柚木だけを心から慕っていたのだから。
香穂子は楽しそうに笑った。
「じゃあ、当てっこしましょ。交互に答えていって先に当てた方が勝ち」
「俺に勝つ気か?随分生意気じゃないか、だったら勝負しようぜ。負けた方が勝った方の言う事を一つきく、それなら乗ってやる」
「あははは、良いよ~、私も負けないから」
 一回で当てられなかったことが内心ショックだった柚木は意固地になった。対する香穂子は柚木らしい弁に、このゲームを楽しむことだけを考える。
「さっき、梓馬が言ったから私の番ね。梓馬の願いは…音楽を続けられますように、かな?」
「ハズレ」
 結構、自信のあった香穂子はちょっと驚いた。
「次は俺の番だな。そうだな、ヴァイオリンが上達したいとかか?」
「ううん、ハズレ。そんなの練習すれば達成出来るもん。七夕にわざわざお願いしないよ」
 それもそうだ。魔法のヴァイオリンを授かったり妖精を見たりとやおら非科学的な体験が多くても香穂子は筋金入りのリアリストだ。自力で叶えられるものに目を向ける訳が無い。
「今度は私の番ね、…うーん、ヒント頂戴」
「もう降参か?」
「だってあんまり思いつかないんだもん、梓馬はしっかりしすぎてて夢は夢って割り切ろうとするから七夕に何願うか想像に限界あるのよ」
 お手上げ、と両手をあげてポーズを取る。
「そんなに難しくないさ、きっと聞いたらがっかりする」
「それがヒント?」
「あぁ」


 チリンチリンと涼しげな音を立てて風鈴が揺れて、ぬるい風に互いの長い髪が遊ぶ。
「うーん、悔しいけど降参、判んない」
「じゃ、俺も降参。思いつかない」
 ぷっと二人はすっかり暗くなった夜空の下、吹き出し合った。



「あのね、私の願いは最初に言ったあれだけなのよ。梓馬が音楽をどうかずっと続けられますようにって。このままだと趣味でやるのも難しいって聞いたから…。迷惑かもしれないけど私は梓馬の音楽のファンなの、だからやっぱり演奏家になってくれたらって願う。どんな梓馬も大好きよ、私は必ず味方するわ――。私じゃまだ頼りないかもしれないけど、強くなるから見ててね」
 真っすぐ告げる香穂子に柚木は一瞬詰まった。揺るぎない彼女の瞳は言葉より雄弁に愛を語る、何時も想っていると。
確かに前途は決して音楽へとは拓いていない。それを誰よりも一緒に憂えて打開しようとしてくれているのだから、もう結果がどうあれ、この言葉は一生忘れはしない。
深く胸に刻み付ける。
「…そうか。ありがとう」



 奇跡は望まない、とどれだけ自分に言い聞かせてきただろうか。それなのに目の前の美しい女は閉じ込めようとしているそれらを開けるのだ。


「俺の願いだって、一つだけだよ――」
 あぁ、お前には適わない。
「なに?」
 興味津々とばかりに柚木を見つめる。
「…‥お前が何時も幸せでありますように」
「え――」
 柚木は切なそうに言い切った。
そして動かない香穂子を両手で抱き締めた。
「お前が幸せなのが‥、一番良い」
 本当に香穂子が幸せだったらもう充分だ。
「厭よ、私一人なんて絶対に駄目、一緒に幸せになろうってお願いしようよ…」
 頑是無い幼子のように香穂子は泣いて首を振った。
「馬鹿、何泣いてるんだよ」
「こっ、これは梓馬が泣かせてるんだからね!」
 上目遣いで睨むのがとても可愛い。
「余計いじめたくなる。いじめられたくなかったら泣き止め」
「横暴」
「ふふ、その代わりに姫の仰せのままにするよ」
 柚木の端正な顔に思わず見惚れて赤面した。
「えぇとね、それなら今度二人でどこかへ行かない?手を繋いでデートするの」
「光栄だよ、承ろう」
 どちらともなく身体を重ねたまま両指を絡め合わせる。



「願いはきっと叶うわ」
「どうして?」
「実現するように努力するし、私はもう幸せなの。梓馬の願いが叶うんだったら私の願いだって叶うはずよ」
 支離滅裂な根拠も無い論であったが、柚木は機嫌が良かったからそのまま頷いた。
「そうなったら最高だ」
「もう!なるんだってばー」
 奇跡なんて望まない。彼女が傍に居るのなら。
比喩しようの無い幸福感に心地良く酔いながら、煌めく夜空をただ見上げた。




 短冊へは、それから同じ願いを書いた。
『ずっと二人で音楽を続けられますように』と。
笹に吊しながら二人は甘い甘いキスをした。






《了》