Amarilli

 

秋晴れの空の元、始まった体育祭も無事に閉会して、今は広い部室に先輩と二人きりだ。先輩と二人きりになるなんて、紅と白に組分けされて以来で。



先輩は部室で二人きりになってから一言もしゃべっていない。さっきからずっと一人考え込んでるのはきっと、環先輩のことや家のこととか精一杯考えているからなんだろうな…。
「コーヒーでも、いかがですか?」
「あぁ、悪いな」
ハルヒのかけた言葉に、ようやく鏡夜は顎にやっていた手を外し、瀟洒なカップへと移動をさせた。

なんだろう、駄目だ――。

リレーで見せた先輩の見たことの無い表情が目の前をやたらとチラつくから、いつもみたいに話しかけられないや。普段、こんなにメリット重視の可愛いげのない冷静な先輩が、年相応に一生懸命必死で走るから。その姿を思わず見られてビックリしたんだ。
本当に笑っちゃうくらいにあんなに汗、らしくなく掻いて。環先輩に勝ったのに悔しそうにしていて。
「…どうした、ハル――」
すごく先輩に抱き付きたくなった。だから、こっちを見ようともしない先輩に後ろからそっと抱き付いた。
「鏡夜先輩、格好良かった――」
「珍しいな、お前がそんなことを言うなんて」
「…本当に格好良かった」
きっとくっついたから体温が跳ね上がってる。肩に寄せているこの頬だってきっと、とんでもなく朱いかもしれない。だって熱くなっているから。
眼を閉じて、体温だけを感じたくて汗の臭いの残るシャツごと先輩をいっぱい抱きしめた。
「あんな…、必死な顔を今まで一回だってさせられなかったのは悔しいですが、先輩が嬉しそうだから‥もういいや」
「何の話しだ?」
相変わらず、こっちを振り返ろうともしないけれども。
「見たことのない、顔していたんです。それでね‥環先輩は、ちゃんと鏡夜先輩のこと理解してるし大好きなんだなって。うん、だからかな、ちょっと感動したんですよ」
 くっついていると熱いけれども、先輩も自分も同じくらいかな。あぁ、体温が混ざり合えば、このまま溶けてしまうのかなぁ。
「――ねぇ、本当に格好良かった」



誇らしげに、幸せなオーラを余すことなく全開にしている可愛い恋人に鏡夜は、しばらくこのまま抱き締めてもらっているのも良いものだと思った。
今だって環に見透かされたことは悔しいのに。
そして、なんのメリットもないのに動いてしまったのに。

心地良いだなんて――。

「おい…」
ハルヒは細いアゴを鏡夜の筋張った肩に乗せて流れるような所作で眼鏡を取った。鏡夜が眼鏡を持ったままの悪戯な手を掴む。
「体育祭で、たくさん鏡夜先輩は眼鏡外してましたね」
ハルヒは歌うように耳元で囁く。
「初めて先輩が眼鏡を外したのを見た時は、誰か判らなかったくらいでした。でもね、今はどっちも好き」
情熱を隠した先輩も、隠さない先輩も。
「…まいったな」
「え?」
カシャン、と小さな音を立てて眼鏡が床にぶつかる。ハルヒは腕をつかまれて真正面から椅子に座ったままの鏡夜に抱き上げられた。
「先輩、顔朱い…」
「珍しく、おまえが可愛いお喋りをしてくれたせいかもしれないな」
上機嫌な鏡夜にハルヒもまた花のように笑った。
「…環、環と言うが、俺はお前にしか見せていない顔だって、いっぱいあるんだ。知っていたか?」
「ふふ、それなら自分もそうですよ。先輩といる時が1番――」
鏡夜は、誰にも見せない甘い甘い微笑みを浮かべたまま低い声でハルヒを侵す。
「溶けそうだ‥」
「は…ぁん――…」
鏡夜は甘いお菓子を食べるように、ハルヒの赤く色づいた唇をはんだ。その味に溺れるようにハルヒを掻き抱きながら、幾度も糖菓子味わった。
こんな顔は俺にだけしてくれと、切に願いながら。






《了》