神父と魔女と



 やっと終わったと思った。広い部室は見渡せば誰も居ない。一日中大騒動だった馨と光が起こした【ニセ魔女事件】も落着して今は一人だ。
「はぁ、疲れたなぁ…。着替えなきゃ」
 授業も免除になった今日はハロウィン。
仮装用にと馨と光から渡された、わさわさと嵩張る魔女の衣装は、

 『返さなくて良いから。ハルヒにあげるよ』

…どうやら自分のための特注品らしい。確かにあの二人がこれを持っていた処で着ないだろうし、役には立たない。でも、自分だって何度も着ようとは思わない――。無駄に服をあちこち引っ張ってみる。今更返却も出来ないだろうと思うと保管場所に困ってしまった。大体2Kのアパートなのだから物は迂闊に増やしたくない。只でさえ父親の衣装で狭くて仕方ないのに。
「どうしよう」
 捨てる訳にも流石にいかない、かといって何処に置こうか。
「どうした?着替えないのか」
 突如暗闇から聞こえてきた声にハルヒは慌てて振り返った。
「きょ、鏡夜先輩!?」
「さっきから居たんだがな」
「はぁ、そうでしたか」
 鏡夜は音もなくハルヒに滑り寄ると、細い腕を取った。不思議そうに見上げるハルヒに笑む。
「似合っているじゃないか、魔女。着替えるには惜しい位だ」
 からかう様な言い種にハルヒは心底迷惑そうな顔を作った。
「…先輩こそ意外と似合っていますよ?神父の格好」
 普段の先輩からは聖職者なんて180°逆も良い処で悪代官とかの方が余程しっくりきますよねぇ、とハルヒは悪びれず宣った。
 溜息混じりのそれに、鏡夜は怒る処か実に愉快そうに声をたてて嗤う。
「そうか、そうだな」
「先輩、…嗤い過ぎですよ」
「じゃあ、お前なら妖精の格好が似合うだろうな。今からでも着るか?」
「嫌です。‥鏡夜先輩、環先輩が移ったんじゃ有りませんか?あれこれ着せたがるなんて」
 心外だと云わんばかりに鏡夜は肩を竦めた。
「妖精なら見逃せる」
「は?何がですか?」
 掴んでいた腕を更に引き寄せ、空いている手でハルヒの顎を優しく持ち上げる。
「未だ『今日』は終わっていない。ハロウィンだぞ?魔女が神父に捕まったらどうなると思う?」
 突拍子もない言にハルヒは珍しく動揺した。
「ど…‥、どうなるんですか?」
 魔女裁判にでもかけられるのだろうか。
 困惑するハルヒに鏡夜は持ち上げていた手を離す。それでも視線は外さないままだ。
「大衆を惑わす愛らしい魔女への対策は閉じ込めるのが一番かもな。神父は聖職者だ、魔女に惑わされる事はない」
「……」
「人目に触れさせず、俺だけがお前を――」
 常のクールそのものな口調は変わらない。しかし、ハルヒは揶揄わないで下さいとは抗弁出来なかった。注がれる眼差しに揶揄のそれはない。寧ろ真剣そのもので。
「宣誓しよう、お前は一生ここから抜け出せない」
「なっ…!ちょっ、ちょっと離して下さい!!」
 真黒い神父装束が小さな魔女に覆い被さる。鏡夜の腕に固く閉じ込められて、ハルヒは身じろぐ事すら許されない。
「よ、妖精の格好するから離して下さいっ」
「――そうか?」
「え?…あっ、はい」
 途端に恐ろしい程、自分を圧迫していた力から解放されてハルヒは転びそうになった。


 ――あ、転ぶ。


 眼を閉じて床に衝突する瞬間に耐えた。だが、何時までたってもその衝撃は訪れない。
「…あれ?」
 おそるおそる眼を空けると鏡夜と自分しか居ない筈の部室に部員が全員そろっている。そして崩おれそうな自分を支えているのは不機嫌そうなモリだった。
「え…、どどうして皆が此処に!?」
「あのまま終わるよりも打ち上げでもしようという事になってな。余興は多数決でお前の妖精姿に決まった。しかし素直に着なさそうだろう?だが意志は尊重しないと悪い、事後承諾にならないようにと聞いてみたんだが何か不都合でもあったか?」
 悪代官よろしい鏡夜の態度にハルヒはブチ切れた。
「ぜっったい!絶っっっ対に着ません!!!」
「うわあぁん、ハルちゃん、ごめんよぅ!うさちゃん貸すから怒らないでぇ」
「「僕らがやったら、ハルヒにそれこそ絶交されちゃうし。鏡夜先輩に任せたんだけど、ごめんなさい」」
「えぇいっ!ハルヒに破廉恥な事をしおって!!このエロエロ神父めっ」
「…大丈夫か?」
 喧しい部員達の押収にハルヒは、どっと疲れを覚えた。
「何、ハルヒだけに余興はさせない。リクエストがあるなら環が何でもやるそうだ」
 そんなものじゃ半ば脅迫に近い扱いまでされた自分の気が収まらない。
 涼しい顔をした鏡夜をハルヒはきつく睨んだ。
「…鏡夜先輩が悪代官の格好するなら妖精やります」
 ハルヒの低い声に鏡夜は眼鏡をかけ直す。
「悪代官か」
「えぇ、ヅラもつけて…是非やって下さい」
「―…‥分かった」
 根負けした鏡夜のそれを受けて部室に爆笑があふれる。
「「ハルヒ~、悪代官なんてハロウィンじゃないじゃんっ」」
 ひーひー笑う双子に環も便乗する。
「ふっ、ならば俺は遠山の金さんをやろう」
「じゃあねぇ、僕ドワーフ~。崇は浪人なの~」 もう何の余興か分からないじゃないか、というハルヒの切ないツッコミはあっさり無視された。最初にハロウィンとは無縁の代官をリクエストしたのは自分でも。
「では良いかな?さぁ、二次会といこうか」
「…鏡夜先輩、楽しそうですね。こっちはもう散々です」
「お前が居るから楽しいんだ、そういう答えじゃ駄目か?」
 嬉々として用意をする部員達の死角で、鏡夜はそっとハルヒの頬に唇を落とした。
「俺は嘘はつかない」
「…っ!!」
 殴ろうとした手を素早く上から軽く押さえつけ、あくまでもシニカルに言い放つ。
「もたもたするな、それとも俺に着替えを手伝って欲しいのか?」
「ーー!結構ですっっ」
 文字で表すならドスドスという派手な音を立ててハルヒは更衣室へと消える。
「…本気なんだがな」
 小さな呟きは、部員達が撒き散らす騒音に掻き消された。
 唇には柔らかな感触が残っている、じっと手を見遣ると抱き締めた時の温かなそれも生々しく甦った。
「なぁハルヒ、いっそ閉じ込めてしまおうか?」
 続けたかった言葉を、すんでで呑み込む。
「おーい、鏡夜~、衣装合わせをするぞ!」
「ハイハイ。環、今行くよ」



 着替えを済ませた、まんま悪代官な鏡夜はワルツの曲が流れ始めると妖精姿のハルヒの手を取った。
「では、お手をどうぞ」
「ぶっ、鏡夜先輩似合い過ぎ!」
 苦しそうに笑うハルヒに憮然としつつ、リードしてゆく。
「もう、魔女じゃありませんから手出ししたら駄目ですからね」
 充分子悪魔とも取れる可愛らしい表情で鏡夜のリードに身を任せる。
鏡夜は答えず、ひらひらと回るハルヒと踊った。



 魔女ならば神父になれば良い。妖精だというのなら、ただの男になれば良いだけ。
いつか――この腕の中に閉じ込めてしまおうか。


 俺がお前を永遠に――。






《了》