A certain night



それは何気なく、だが唐突に起こった。
「ねえスカイハイ、私とイイトコロへ出掛けない?」
「良いところ?」
「そうよ、ウフフ」
トレーニングを終えたばかりの、汗まみれのキースへネイサンはしなを作り、にじり寄る。
「コールもないし、たまには飲みに行かなぁい?」
「ああ、親睦を深めるのは良いことだ、うん、良いことだ」
二つ返事で頷いたKOHに、ネイサンは喜色を浮かべた。
「じゃあ、三十分後にエントランスで待ち合わせしましょ」
「分かった」
手を振るネイサンへ笑って応えると、キースは急いでシャワールームへ足を向けた。




身仕度を済ませてエントランスに入れば、ネイサンが用意していたタクシーが待っていた。促されて乗り込む。
たわいない話をしながら着いた先は、こじんまりとしたものの賑やかなクラブだった。
車から下りると、ネイサンがキースを引っ張った。
「さ、行きましょ。それから一杯目は無料よ、招待だから」
「招待?」
「そう、貴方も私も今夜ここの歌姫に招待されているゲストなのよ」
クラブで歌う女性に知り合いなどいない。記憶を総動員して辿るが、どうにも思い出せない。
真面目に悩むキースへ、ネイサンは早く早く、と前の席へ追い立てる。確かにテーブルは予約されており、ますますキースは訳が判らなくなる。
パッと舞台も室内の照明も一気に暗くなった。すぐに舞台のライトが点く。
ゆっくりと舞台袖から、一人の女性が出てきた。ピアノの前へ立つと一礼し、予め知っていたのか自分達にちらりと視線を投げかける。
「ブルー…!!」
「しっ!今はカリーナよ」
慌ててもう一つの名を飲み込むと、キースは黒いロングドレスを着たカリーナに呆気に取られる。
歳不相応に婉然と微笑むと、カリーナは軽快なジャズを弾き語りし始めた――。



「まさか、歌姫だったとは」
「来てくれてありがとう、ネイサン、それに…キース」
カリーナもスカイハイとは言えず、やや躊躇ったが名前を澄んだ声で呼んだ。
カリーナの出番は終わり、三人はネイサンがオススメだという、フレンチの店へ移動していた。本業が女子高生であるカリーナからすれば、やや敷居の高い店だがドアで仕切られた個室はくつろげる雰囲気だ。乾杯すると、少女は口を開いた。
「私、あそこで歌っているの。新曲を増やしたから感想がほしくって。だから知ってる人を招待したの」
「そうだったのか。実に良かった、また来たい」
「上手くなってきてるわよね、カリーナは」
眼を細めてネイサンが褒めると、カリーナは舞台の上の歌姫からいつもの笑顔に戻る。
伸びやかな歌声は心地好く、久々にゆっくり出来た気がする。
「ブルーローズ君、ありがとう、そしてありがとう」
「へ?な、なにが?」
「素敵な時間を過ごせた」
てらいの無い賛辞にカリーナは何と返して良いのか分からず面映ゆくなり、俯いた。
「あらまあ、焼けちゃう」
「ネイサン!」
だって~と唇を大袈裟に尖らすと、ネイサンのバッグから携帯の着信音が鳴り響いた。ごめんなさいね、と断り、話し始めれば見る見る間に表情は曇る。
決して良い報告ではないのだろう、二人はネイサンの会話が終わるまで話すのは憚られ沈黙する。話が止むと、慌ただしくネイサンはバッグを掴んだ。
「ちょっと会社に戻るわ、私じゃないと駄目な内容みたいなのよ」
「え、あ…うん、気をつけてね」
「埋め合わせはまた今度するから」
「急用なんだ、気にせず早く戻った方がいい」
「二人共、ここのオーナーには言っておくから楽しんで帰って頂戴ね!」
手を小さく上げてネイサンは部屋を後にする。
狭い室内は嵐が過ぎ去ったようだ、しんとしている。キースは静かにビールの注がれたグラスを傾けていた。オレンジ色の仄かに明るい照明が、彼の金髪に落ちて陰影を作る。
「スカイハイと二人きりって初めてね」
「ああ、そういえばそうだ」
――二人、か。前にタイガーと一緒に飲んだ。アイツはお酒で、私はミネラルウォーターで。こんな綺麗な店じゃないしカウンター席だったけれど。
「…スカイハイって皆に優しいわよね、凄いって思う」
上限の無い能力、強さ、真っ直ぐさ。
そしてアイツと同じ、彼は根っからのヒーローだ。
「君も凄い。特に最近、頑張ってる」
「そう、かな」
それは、アイツが…――。
「…ヒーローやるのも歌うのと同じで悪くないって思っただけよ。まあ、KOHにそう言われたら光栄よ」
たいしたことは出来ていない。未だ、何も。認められるような結果なんて遙かに遠い。
「冗談でも、ね」
すっと眼を逸らしカリーナはこの話は終しまい、とばかりに美味しそうに彩りよく盛られた皿へ手を伸ばす。
しかしフォークを取る前にキースに手を握られた。
「私の本心だ。君はよく頑張っているよ」
晴れ渡った青空のような瞳は、ひたと少女の見開かれた瞳を映す。
こんなに間近で異性に接触したことのない少女は、言葉も出ない。彼は英雄そのものであり、ギリシャ彫刻像のように美しい。逸らされることなく見詰められ、少女の頬は自然と薔薇色に染まってゆく。手は厚く大きい、じんわりとカリーナから汗が滲んでゆくのに時間はかからなかった。
両手で包まれた利き手を振り払うように離すや、喉の渇きに堪え兼ね少女はグラスの中身を一気に煽った。
「ブルーローズ君、いけないっ!!」
「――!?」
カリーナが動揺の余り取ったのは、下げられなかったネイサンのグラス。ブランデーのロックだ。
焼けるような熱さでアルコールが胃へ流れ落ちる。
カリーナは激しく噎せた。キースは背中をさすりながらボーイにミネラルウォーターを注文する。
「すまない、私がもっと気をつけるべきだった。タクシーを呼んでもらう、水を飲んだら送るから出よう。気分が優れないなら病院へ寄る、吐き気はあるかい?」
慮るような口調は彼らしい。それがカリーナのカンに非道く障った。
「…帰んない」
「え…?」
キッと背中をさすってくれる彼を見上げた。
「も、もう子供じゃないの、夜だって平気よ!」
私はこんなに子供だ。我が儘で、目の前の彼を困らせる。
ポイントゼロの癖にアイツはしっかり大人だから。早くお酒をロックバイソンみたいに一緒に飲めるようになりたかったなんて。
「平…気、なんだか……ら」
クラクラする。身体が焼けるように熱い。
カリーナは眼を真っ赤にしながらキースを睨み上げる。
「ちゃんと、付き合い…なさ、いよ…ね?」
「しかし」
「ケチ!」
(…絡み酒か――)
こんな時にどうすべきかは分かっている。無理な飲酒をしたのだ、早く送るべきだろう。
水を持ってきたウエイターにタクシーを頼むべく、手招きしようとするとその手をガッチリ、ホールドされた。
「ねぇ、ここら辺でゆっくり休めるホテルはないかしら。これから彼と行くから教えてちょうだい」
まさに営業用の笑顔で、にこりと言われウエイターは、スマートに一礼する。
「さようでございますか、それでしたら最寄りの…――」
「いや、まずい、そしてまずい!!カリーナ君、何をっっ」
「送るなら、そこに送ってほしいわ。送るって言ったじゃない!あたしに嘘つく気!?」
ますます顔は赤らみ、完全に眼が据わっている。

そう、紛れも無い酔っ払いがそこにいた。

キースは内心で『おお!神よ!!』と、これ以上、逆らえない己を天を仰いで歎くしかなかった。





ウエイターが案内したホテルは歩いていける近さだったので、キースは会計を済ませると足元の覚束ないカリーナを負ぶり、夜のシュテルンビルドを歩いていた。
「…風、キモチいい」
「少し君は眠った方が良い。疲れているんだろう、学校にバイト、ヒーローも。偉いと思う」
やわらかな声に、カリーナはふふっと笑う。
「やっさしーのね……」
この彼の、皆に優しいそれは温かいのに胸がツキリと痛む。
アイツみたいじゃない。
「どうして…好きな人に、好きになってもらえないのかな」
夜の喧騒に融けそうな、ちいさな囁きはキースに届いた。
「好きな、だけじゃ、苦しい」
泣きそうな独白を最後に、カリーナは口をつぐみ逞しいキースの肩へ、一層強くしがみつく。
微かな嗚咽が洩れた。カリーナは涙を止める術を忘れ流し続ける。
キースは不安定な少女を再度、抱えなおす。
二人の影はホテルへと吸い込まれた。




カリーナを負ぶったまま器用にチェックインを済ませ、キースはベッドへ軽い少女を慎重に下ろす。
可憐な頬は涙で濡れている。
(誰を想っての、涙なんだろうか)
無意識の涙は痛ましくて。長い睫毛を指で拭う。
「どこ…にも、行かないでよ。お願い……」
「――傍にいるよ。安心してほしい」
頭を撫でると、苦しそうな面持ちが徐々に穏やかなものへと変容する。
「…うん」
気配が離れないのが分かったのか、カリーナは深く意識を落とす。
寝息を立てる少女は、あどけない。無防備でさえある。
(いつでも誇り高く泣かない君が、泣くなんて)
弱っているんだろう。

具体的に何が出来るんだろうか、嫌がられてはいないようだから頭をもう一度撫でてみる。
ふと、明るい栗毛色の髪は家族でもある犬を惹起させた。毛並がよく、暖かい。
長く伸ばされた髪はふわふわしている。艶やかなそれを夢中で梳いていると、カリーナは気持ち良いのか、キースの節張った手へ頬を擦り寄せてくる。それは、たまらなく可愛らしい。
「おやすみ、ブルーローズ君。良い夢を」
せめて、夢は楽しいものを。
キースは夢路を見守るように、ベッドへ腰掛けた。







なんとなく、寒い。
温かいものはないかと、もぞもぞすると、それは在った。くっつくと固い。
(これ…なんだろう)
不思議に思って眼を開けると、どうみても男と寝ている。しかも相手は――。

(………―――――――――!!!)

キャアアアアァァアーーーーーーーーーー!!!!
と、絶叫したくなるのをヒーローのド根性で抑えた。
(ど、どどどうしてこんなことに!??)
頭が高速で廻りだす。
確か、間違ってファイヤーエンブレムのお酒を一気飲みした。あげくに『帰りたくない』と無理を言って、負ぶってもらったのまでは覚えている。
「で、でもなんで、この状況に…?」
茫然とした呟きは、唇からするりと零れた。
キースが声に反応して、ゆっくりと蒼い瞳を開く。泡を喰ってるカリーナに上品に微笑む。
「おはよう、そして…おはよう。ああ、良かった、もう泣いていない。君は、笑っていたほうが…いい」
うんともすんとも答えない内に、ぎゅうっと抱きしめられた。
(ちょっと何事!?)
息が止まった。
頭上からはスヤスヤと安らかな寝息が聞こえる。
(ね、寝言なのっ?どんだけタチが悪いのよ!私の心臓は一個しかないっていうのに、殺す気だわ)
キッと見上げると、俳優レベルな端正なマスクがある。幸福そうに眠っている。
起こして怒ってやりたいのに元々、疲れさせたのは自分のせいだ。揺すって起こすのも気が引けてきて、仕方なく抱き枕状態に甘んじるより他なかった。
しかし、居心地は果てしなく悪い。心臓は煩いし、密着してるからやたら意識するし。
(ええと、こういう時は別のこと考えよう。その内、さすがに起きるだろうし)
だがやはり、今更課題のこととか何か考えられる訳もなく、ずるずると思考は過去へと飛ぶ。
そう、スカイハイに最初に出逢った時のことが甦る。
自分がヒーローとしてデビューする頃にはもうスカイハイはキング・オブ・ヒーローだった。実力と人気を兼ね備えた彼を知らないシュテルンビルド市民は、いないくらいで。
ヒーローをやって驚いたのは彼の素顔だった。きっとそんなにオジサンじゃないだろうと予想していたけれど、ハニーブロンドに鮮やかな碧眼は、まるで映画や絵本に出てくる王子様のようだった。
(神様は、彼に二物も三物も与えられた――)
結局、それは全身全霊で骨身を惜しまない努力から得たものだと、少しずつ分かっていったのだけれど。
(…何か、悔しいわね。私ばっかり恥ずかしいし死にそうなのに、この天然キングオブヒーローは絶対、なんてことないのよ)
仕返しがしたくなった。
ほとんど彼の髪は寝乱れていない。もしかしたら、大分遅くまで起きて傍に居てくれたのかもしれない。
(寝顔まで見られて、借りまで作って――。弱みを握られまくりじゃないっ)
理不尽な怒りが、どうしようもなく腹からワナワナ沸き起こる。
固めの金髪を、そっと掻き乱す。整えられたセットがグシャグシャになるのは思いの外、清々しくてカリーナは勝ち誇ったように満面の笑みを湛える。

…嗚呼、じゃれつかれている。遊ぼう、そして遊ぼう。

くすぐったいカリーナの悪戯に、キースは僅かに眼を覚ます。視界に飛び込んできたのは、柔らかな栗毛。最近、忙しかったから寂しがらせただろう。
手を伸ばして『愛している、そして愛してる』と、幾度も頭を撫でる。
沢山、キスもしたくていつもより滑らかな毛並へ想いを込めて口接ける。

いきなり、眼が開いて頭を撫でられたかと思えば、髪へキスをされた。
(ヒイッッ!!)
「もう、起きて、起きてってばっっ」
大型犬に、じゃれらているような――。
いやいや、それどころじゃない。
しかしキースの愛撫は止まらない。鼻同士を擦られ、危うく唇を奪われそうな距離に眼を剥いた。
固まった憐れなカリーナへキースは優しくこめかみへ唇を落とした。燃えるように熱い感触に身体がふるえる。
「愛してる、そして…愛してる」
こめかみから丁寧に唇は下りて瞼にもキスされる。カリーナはピクリとも緊張から動けず固まったまま、とうとう失神したのだった――。




失神したのは僅かな時間だったようだ。
気が済んだらしく、また抱きしめようとするキースを渾身の力で跳ね退ける。
「あ、あのっ!昨夜はごめんなさい、もう二度と迷惑かけないわ。さよなら!!」
「ブルーローズ君…?」
ようやく起きたキースがそれ以上を言う前に、カリーナはネクストの俊敏さで上着とバッグをひっ掴むや、神速で部屋から逃げ出す。
いまだに事情の飲み込めていないキースは、のほほんと破顔した。
「元気なようだ、良かった」
うんうん、と頷く嬉しそうなキースとは対照的に、カリーナは、もうお酒なんて金輪際飲まない!!と激しく後悔した。






… to be continued ?
 

 

2011/06/12