Citronnade


 

今年も記録を塗り替える勢いで猛暑が続いている。休むことなく鍛えていているヒーローでさえも、例外ではない。
カリーナはトレーニングセンターでメニューを黙々とこなしていたが、終わると同時にミネラルウオーターを喉に流しこむや机へ突っ伏した。
「この暑さの中、帰るって地獄だわ…」
買ったペットボトルからは、後から後からと指へ生まれた水滴がまとわりつく。能力で氷を作るが焼け石に水だ。呼吸が落ち着いたら水でシャワーした方がまだ良い。
「やあ、ブルーローズ君!!」
「スカイハイ……」
ぐったりしているカリーナに対しキースは健康そのものであり、爽やかだ。にこにこと片手を挙げれば白い歯もキラリと光る。
「いつも元気ね」
机から身体を起こすことにも疲れ、チラと顔を見ただけでカリーナはまた冷えた机と同化した。
素っ気ない態度に気を悪くした風でもなく、キースはしゃがみこみ高さを合わせる。
「ブルーローズ君。実はね、先日私はとあるミッションをクリアしたんだ」
「ミッション?」
「あぁ」
ほんの少しだけ気が向いたのか、カリーナは初めて話しかけるキースへ顔を向けた。
「その成果を以てすればきっと今の君の疲れを取り除けそうだと思ってね。良かったら、君を連れて行きたい所があるんだ。明日、良いかな」
「疲れとか、この暑さが何とかなるの?」
弱々しく訴えるカリーナからは未だに汗が流れ続けている。
「勿論。お試しあれ、そして試してくれたまえ」
半信半疑にあっちこっち視線を彷徨わせたが、脳は動いてくれていない。
「うん、いいケド」
「ありがとう」
訳も分からないまま、カリーナは肯いた。



翌日、指定された場所は何故かキースの自宅だった。
「えーと」
広いリビングに通されると、ソファーへ腰掛けるようにエスコートされた。彼はいわゆるギャルソンの格好をして出迎えたので、カリーナは唖然としたままだ。言われるまま座ったものの、すぐに彼はキッチンへ行ってしまった。
腰からの黒いタイトなウエイターエプロンを身につけ、キースはシステムキッチンへ立っている。カチャカチャと調理具を使っている音がするがソファーからは何を作っているかまでは確認出来ない。けれどもキッチンに立つ男性は魅力的に見えるというのは、あながち誇張でもないんだなあと、ぼんやりカリーナは綺麗に筋肉のついた背中を見ながら考えていた。元々、姿勢も良い。
普通にキッチンに立つだけでも絵になる。
座ってから10分も経過していないが、キースがトレイに2個のグラスを乗せてやってきた。
「お待たせしたね。どうぞ」
ガラスのローテーブルに置かれたのは、レモネードのようだ。
「これ…わざわざ作ってくれたのね。ありがとう、スカイハイ」
「こうやって、君と二人きりで話すのは久し振りだね」
ゆるく頭をキースは振り、眦を下げる。カリーナの隣へ座り、グラスを少女の手前へ差し出す。
「君のためにレモネードを作ってみたんだ。口に合うと良いんだが」
「もしかして、その『ミッション』ってレモネード作ったこと?」
「いや、違うよ。『接客』を学んだんだ」
「ハアァッ!?なんて言ったの今!!スカイハイが出来たのっ??」
「勿論だとも!」
自信たっぷりに言われれば、その根拠の無い自信は一体どこから来たのよ。心から反駁したくはなったけれども。
(どんな…ミラクルが--。いえ、か、顔は良いんだし、それで乗り切ったとか!??)
あれこれとそれなりに失礼な想像を目まぐるしく回転させるカリーナに構わず、キースは得意げに肯いた。
「ミッションをコンプリートした御褒美に、ずっと大好きだったこのレモネードのレシピを教えて貰ったんだよ。そうしたら君にも飲んでほしくなってね」
「そ、そう。美味しそうね、頂きます」
対人慣れはしてるんだし、やりきったんだろうと思おう。気を使ってくれているのに、根掘り葉掘り蒸し返すように尋ねるのも気が退ける。
詮索は野暮と、カリーナはグラスを手に取った。
「美味しい!!」
無邪気に歓声を上げる少女にキースは穏やかに目を細める。
「そうか、うん。君に気に入って貰えたようで嬉しいな」
「甘めなんだけどサッパリしていて飲みやすいわ」
「うん」
感動しきりに絶賛するカリーナとキースの距離は縮まっている。
「えぇと…あんまり、その近いと味が分からなくなるわ」
「…――」
頬を染めるカリーナは愛らしい。
「残念だけど、それなら離れるよ」
彼の拳、三つ分は離れられ、ホッとしたカリーナはちびちびと再び飲みだした。
「…スカイハイ、だからそんなに見ないでよ」
穴が空きそうなほどじっくり見られてリラックスして飲める訳がない。
しかし今度はキースは何も言わず、楽しそうに見詰めているだけだ。止める気配の無いことに少女は気づき、甘い視線から逃れるようにただグラスの中のレモネードに意識を集中させる。
ヒンヤリとしたジュースは、すぐ飲み終わった。
「前よりもずっと好きになったわ。御馳走様」
「良かった」
距離は注意したさっきよりも更に近い。
「あの、スカイハイ?」
抗議の色を含むそれは飲み終えたグラスを持ち上げられ中断される。グラスには薄くスライスされた檸檬がカットされ刺さっている。香り付けのミントからも清涼感が漂う。
「ミントも一緒に飲んでみてはどうかな」
カリーナのグラスをテーブルへ戻すと、半分以上残っている彼のグラスが手渡されたが先に飲み干したのかミントの葉は檸檬に添えられていない。
「えーと」
どうしたものかと思った瞬間、カリーナのグラスの檸檬に付いている小さなミントの葉を指で掬うや、キースは少女の濡れた唇へそっと押し充てた。自分のグラスからレモネードを口に少し含むと、そのままカリーナへ口移しにした。
「んっ…んうぅっ」
唇が重なると、酸味と甘さの混じったそれが流し込まれる。驚きで抵抗する間さえなく飲まされる。頭を手で抱えられ、唇が離れるまで息もまともに出来なかった。
「どうかな。私はこちらの方が…より美味しいと思うのだが」
ぷはっと苦しい息の下、カリーナは絶叫した。
「――――ななな、何するのよっっっ!!」
しかし次の台詞も甘い唇に塞がれる。
「っふ……ん…ぅ」
冷えた舌をすするように絡められ、カリーナは羞恥でふるえるばかりだ。
キースは味わうように丁寧にすする。それはカリーナの力が抜けきるまで角度を変えては続けられた。



「君の唇を見ていたら、キスしたくなった」
涙の滲む瞳でにらまれれば、好きだよ、とキースは額へ優しく唇を落とす。
「また、御来店頂けますか?」
「…私……以外を誘わないなら」
恋人の可愛い赦しにキースは破顔するだけだ。
「君のためだけに開けた店だよ、分かってる」
最近、ようやく付き合い始めたばかりの恋人は照れ屋で素直で可愛くて。
(そうだ――。次は男子の勇ましいダンスという、マスラオ・ショーもコンプリートしておかなければ!)
「うん…そ、それなら良いわ」
カリーナは恐ろしいことを思いついた恋人にも気づかず、幸福そうに逞しい肩へ頭をもたれさせたのだった。


――後日、笑顔でフンドシ一丁のワンマン・ショーを披露されたカリーナは、チップの代わりに盛大にキースの部屋へブリザードを送ったらしい。




【了】


2011/08/31