sweet or bitter?






 これは分かっているけれど、ただの未練だ。
渡す相手はとうにいなくなっても、それでも渡せないまま毎年作っていたせいで今年も結局、気付けば作って仕舞っていた。
(確かこう言うのって、パブロフの犬? って言うんだっけ)
「太っちゃうわね」
 カリーナは独り、トレーニングセンターの休憩室でギフトボックスを開けた。丁寧にラッピングしたミニボックスには、舌触りの良いシュガーパウダーをまぶしたココアボールが詰められている。
 壁に飾られたヒーローのパネル群の中に、虎徹と バーナビーのパネルは無い。随分前に撤去されたから、もう並んで見るようなことは出来ない
。 抜けたことが否が応にも現実なのだと、突き付けられているようでカリーナは溜息をそっと吐いた。椅子へもたれ、ぼんやりとパネルからココアボールへと視線を移す。
 シュンと音がした。扉が開くと、キースが入ってきた。
(ヴァレンタインなのに、トレーニング……安定の真面目さって言うか)
 それを突っ込めば自爆するのは分かっているから、黙ってやり過ごすことにした。
「やぁ、ローズ君、美味しそうだね」
「欲しい?」
(…あげたい人は、もう会える距離にはいない)
 カリーナは白く細い指先で、一口サイズのココアボールを摘むと自分の口へ放り込んだ。器用に舌へ乗せると、キースへ見せつけるように差し出す。
 キースが一瞬、狼狽えたのを見て取ると、少女は勝ち気に笑った。そのままトロリとしたチョコを飲み込む。
「冗談よ」 フン、とそっぽを向く少女の傍までキースは行き、顎を上げた。
(え…――)
 スローモーションのようだ、キースの彫像のように整った顔が近づくのが他人事のように視えた。こんなに近づいたことは一度だって無い、瞳はこんなに深い澄んだ色だっただろうか。
何かを言いかけて口を開けたカリーナの舌だけを、 ざら、とキースは厚い舌で舐めた。
「甘い」

 カリーナは、ぽかんとして、その次に猛烈な勢いで椅子から立ち上がり絶叫した。
「な、な、なな何すんのよっ!!」
 全身を総毛立たせるカリーナへ、キースは唇を奪えるほどに近く端正なマスクを寄せる。
「美味しそうだったのでね、つい。…私はそのチョコを君から貰えたら嬉しいのだが」
「はぁ!? 大体コレは、アンタのために作ったんじゃないわよ! それにもう開けてるし!!」
 真っ赤になって鼻息荒く肩を怒らせるが、キースはどこ吹く風とばかりに涼しい顔をしている。
「うん。でも、それを貰えないかな」
 低く囁いて唇の端へ触れそうなギリギリの距離で 止まる。
(ちょっと…!! ち、近い近い近い! 近いってばぁっ)
「ほんっと意味分かんない! あーもう、あげるわよ、でも次にこんなことしたら氷でベッキベキのバキバキに固めてやるんだからっ」
 言うだけ言うや、ボックスを押し付けるカリーナは休憩室を飛び出した。 「固められるのは遠慮したい、かな…」






 ――それが去年のことで。

「今年は、固められないと良いのだが」「し、しないわよ!」
 恋人同士の仲になったキースとカリーナは、キースのマンションでヴァレンタインをのんびりと過ごしている。二人でソファーへ腰掛け、飲んでいるのはホットチョコだ。
「だけど、『スカイハイ』は仕方ないけれど、『キース』が他の女の子から本命チョコを受け取ったら固めるわね」
「自重するよ」
「――…」
 涙ながらに押し切られたら、受け取って仕舞うんだろう『優しい』から。
(わ、分かってるけどなんか腹が立つわね)
 無意識に唇をアヒルのように尖んがらせているカリーナへ、キースは相好を崩す。
「はは、冗談だよ」
「何が」
「カリーナ以外へ何かを贈ることも無いし、カリーナ以外から受け取ることもないよ。それは絶対だ、当たり前だろう?」
「そ…それ、なら良いのよ」
 晴れ渡った蒼穹のような瞳は少女だけを映している。
(うぅ、からかわれたみたいで悔しいけど、今日は機嫌が良いから許してあげるだけなんだからね?)
 ツンと顔を逸らすが、頬は薔薇色に染まっている。

 しかしキースは、まるっきり別のことに考えていた。
(この……雪のような肌へホットチョコが温かい内に擦りつけたら…もっと甘くなるだろうか。甘いなきっと)
「カリーナ、場所を変えないか」
「どうしたのよ」
「…とても大切なことを君へ伝えたいんだ」
「今?」
「そうだ、今じゃなければ言えない」
(い、いきなりプロポーズとかじゃ…ないわよね?)
 ソワソワと頷くカリーナをキースは寝室へと誘った。何故かホットチョコのマグカップを持って。
「好きだよ」
「う…うん」
 大人しいカリーナの態度をゴーサインと受信したキースは喜色を浮かべた。
「優しくするよ」
(これからも…ってこと?)
 カリーナはますます紅くなる。
「もう良いだろうか」
 珍しく素直な少女にキースも我慢の限界が近付き、己が野望やら欲望を達成せしめんと、ベッドへ押し倒した。トサッとカリーナはベッドへ転がる。
「あの? …ねぇ、何で私、押し倒されてるのかしら――」

 ようやく何かおかしいと悟ったのは衣服に手をかけられた後だった…――。


(こんなの、ブラック・ヴァレンタインよーー!!)

 良いようにカリーナは堪能されたらしい。
 かくしてキースの好きなものにホットチョコは加 わったが、しばらくカリーナはチョコも見るのさえ嫌になったという。

 スイート・ヴァレンタイン?





【了】


2012/02/03