夏越えの星 近くて遠い織姫と彦星のお話






 



「亜美さん、送りますよ。外が暗くなっています《
密やかな、かそけき星のごとく綾で凛とした大気の声に、俯いていた亜美はハッと細面を上げる。
通う高校の教室は暫く前から既に静謐を纏っていた。クラスメイトは全員帰宅しているようだ。紛糾した委員会は遅くまで会議が続き、あれやこれやをゴリゴリと担当教諭から手伝わされていた亜美は、閉門間際であることも脳内から綺麗サッパリログアウトされていた。書類と格闘していたため呼びかけられるまで、長身の彼の気配にさえ気付かない有様だったのだ、戦士としての立場が危うい。かなり恥ずかしい。
「た、大気さん!?《
しまった、用意ができていなかったから声が思い切り上擦って仕舞った。
「あの、えっと…お、お仕事は大丈夫ですか?《
 あたふたと忙しなく自分を気遣う少女へ、大気は更に笑顔を柔らかくした。
「七夕を水野先生から解説して貰える約束でしたね《
「…‼ は、はいっっ、《
 聡明な大気の『先生』付けは面映ゆい。何気ない数週間前のやり取りさえ、取りこぼしが全くないから。私は醜く期待して仕舞う。
ちょっとは楽しみにしていてくれたのかしらって。 そうだったら——良いのに。



 息を肺までたっぷり詰めるように吸い込み頷いて。物珍しげに質問をする大気さんを連れてきたのは十番商店街。
「…という訳で、願いごとを書いて笹へ吊るすんです《
少女のよどみない説明に、大気は流石ですと破顔した。無駄の無いそれは短く分かり易い。実施検証が一番ですと渡された黒ペンと短冊を交互に弄りながら、大気は笹よりも高く遥か遠い天を仰いだ。
「でしたら、今日より貴女を送る距離が長くなってほしいかな《 「え?《
ふふ、と大気はいっそ無邪気に笑った。
「だって、貴女ともう少し…長くいられるでしょう?《
 合った目線は切なげに細められ、切れ長の双眸は酷く熱く感じた。声だって同じ灼けるような温度だ、心臓が燃えて仕舞いそうで、痛い。
「駅から…近すぎるんです、私には《

   ずっとずっと、私もそうだったの。我儘でしかないから。やり過ごしていた。
「たまに…寄り道を、しませんか? それから、来年の短冊は二人で一緒に書けたら嬉しいです《
「…本当に。本当に、そうしたいですね《
 唯一無二。至高の存在である主の捜索が最優先——。
『帰したくない』という禁忌の言葉をいつも私は飲み込み、育つ感情をそっと殺す。
でも、今だけは。



 優しい貴女の願いが叶えば良い。



 目の前にある笹へ伸ばした手を下ろす。短冊には結べないけれども、ただ、それだけを幾万の真白い星々へと祈った。






【了】

2015/08/24