― 残照(ざんしょう) ―






   まだ陽は中天に差し掛かっていないのに、地上を容赦なく照りつけていた。真夏のギラギラした太陽の下、千鶴は洗濯ものを一人で干している。
京の夏を初めて過ごす千鶴は、着崩すことも出来ない厚着の男装で、大量の脂汗を掻いていた。時折、額を流れる汗を手の甲で拭うが追い付かない。
「うん、これで終わり!」
 最初は山盛りだったけど汚れ物も全部、片付いた。これだけ暑いし、夕方には取り込めそうよね。それが終わったら門の辺りに打ち水を撒こうかな。巡察帰りの隊士さん達も涼めそうだし、うん。
汗まみれの顔を洗おうと井戸へ体を捻ると、隊服姿の原田さんが見えた。
「お疲れ様です、原田さん」
「千鶴、一人でこの量の洗濯やってたのか?って…大分、汗を掻いているじゃねえか。ちゃんと休めよ」
「大丈夫です、終わりましたし」
 ぺこりとお辞儀する千鶴の頭を、原田は軽く撫でる。
「千鶴、これやる」
 顔を上げると、目の前に小さな小瓶があった。花の模様で微かに良い香りがする。
「なんですか?可愛い小瓶ですね」
「これは花を蒸して作った化粧水だとよ。肌にも手荒れにも良いらしいぜ。雨も最近降らなくて埃っぽいだろ、陽射しも強いしな。ああ、なくなったらまたこの瓶に詰めてもらうから、飾っとかないで使えよ」
「そんな、頂けませんっ」
 驚き慌てる千鶴へ原田は、そっと小瓶を握らせる。
「お前は女なんだから、綺麗にしてろ。礼なら今度の飯当番の時に、とびきり美味いやつ、作ってくれ」
 やわらかく言われれば千鶴はそれ以上、断ることもできない。
 自分でも”女“だと忘れそうな時があるのに、まるっきりの女扱いは恥ずかしい。でも、嬉しくて頷いてしまった。
こくん、と照れながら頷く千鶴は年頃の少女そのもので愛らしい。
「ありがとうございます、大切に使わせて頂きますね」
「…やっぱり、お前はそうやって笑ってた方が良いな」
 見れば見るほど溜め息が出るような目鼻立ちの整った顔が、ゆっくりと千鶴の瞳に大きく映ってゆく。
(な、何!?どうしよう、息、上がってきたかも…!)
「はは、凄い汗だな。明日で良ければ氷を食べに行こうな。こんだけ頑張ってくれてるんだ、土方さんに許可もらうから」
「…原田さんは、その、私を甘やかしすぎなような気がします」
「気のせいだろ。大体、暑いってのに更に暑苦しい新八とか隊士どもを誘って、野郎だらけで氷を食ってもなぁ――。体力が極限まで、すり減るだけだぜ」
 原田は、形の良い眉を厭そうに思い切りしかめた。
「私で、涼しくなるんですか?」
 不思議そうに首を捻る千鶴へ原田は。
「良いじゃねぇか、千鶴は可愛いから和むしな」
「へ?………えぇ!?」
 さらっと言われたそれに千鶴は違う汗を掻き始める。原田は愉しそうに、くつくつと笑い返し、千鶴の手を取り日陰へ入る。
「だから、無理して倒れたりするんじゃねえぞ。明日は出掛けるんだからな」
(どうしよう、これじゃ私――)
「ほら、返事は?」
「…はい」
 千鶴はぎこちなく俯く。真っ赤だろう顔は、みっともなくて見られたくなかった。
「よし、話は決まりだ。これから土方さんの所へ行ってくるわ」
「は、はい」
 くるりと副長室へと向かう原田の広い背中を見送りながら、千鶴はぎゅっと手を合わせた。
(私は馬鹿だから…これじゃ…好きになる……)
 この小瓶の力を借りれば、見てくれだけは多少なりともよくなるかなとか、詮無いことが頭をぐるぐる回る。
「顔、洗おっか…」
 洗ったくらいじゃ、頬や耳の熱は取れそうにもなくっても。
千鶴は垂れる汗を強任せに、ぐいと拭った。



 翌日、原田さんは買い出しの名目で本当に連れ出してくれた。
でも氷を食べても、涼しくはならなかった。口の中は冷たいのに、溶けて流れれば胸の辺りで熱くなる。
ひたひたと全身に回った、のぼせるような熱に千鶴は堪えるように眼を閉じた。





【了】


2013/04/02